色眼鏡ってそもそもはずせるの?

 

よく人を色眼鏡で見てはいけませんと言われますよね。あれは一体なぜでしょうか。

先入観を持ってはいけないから?

 

そうかもしれません。でも、先入観ってどうして持ってはいけないんでしょうね。そもそも私達が外の世界を認識するにはある程度の知識が必要ですよね。ボクたちが道を歩いていて車がやってくるのを認識して道の脇に避けたりすることが出来るのは、走っている車との接触はとても危険であるという知識を持っているからです。

 

目の前の四本足のふわふわした生き物がネコじゃなくて犬だってわかるのは知識があるからでしょう?

 

赤ちゃんや幼児はライオンが獰猛な肉食獣であることを知りません。きっとライオンに対して何の先入観も持っていないため、ライオンを恐れないでしょう。もしかしたら、すごく仲良くなれるかもしれない。もちろんその結果としてライオンの餌食となってしまうことも十分に考えられます。

 

 

私が言いたいのはむしろ色眼鏡で世界を見てみようってことです。

 

別にいいじゃないですか、自分の見たい世界をみて、その先入観が間違っていたらそのたびに修正していけばいい。

色眼鏡で世界を見るのは普通のことなんです。自分の命を守るために、防衛本能として備わっている。そこに罪悪感を抱かせるような教育は私は間違っているように思います。

 

例えば、歴史問題にしてもそれぞれの国の人々が自分の思うように他の国々を見ればいい。そして実際に問題の国の人と触れ合う中で、自分の見方を修正していけばよろしい。

 

 

反日教育を受け、テレビで残虐かつ冷酷な日本兵が出てくる反日ドラマをいつも見ていた中国人留学生は日本に来て、想像していた日本人と実際の日本人が全く違うことに衝撃を受けたそうです。彼女にとって想像していた日本人は笑わない、冷酷で血に飢えたケモノだったのですから当然です。その後、彼女は自分が受けてきた教育や中国共産党政府が本当に正しいのか疑問に思うようになったそうです。

 

私たちは色眼鏡なしで物事を判断できません。だからこそ、その存在に感謝したうえでその眼鏡の色を自身の経験によって変えていくべきなんじゃないでしょうか?